外人と呼ばれる事をひどく嫌がる人がいる理由
外国人にはガイジンと呼ばれるのを嫌がる人が一定数いる。日本語においては外人というのは外国人の略称にすぎず侮蔑的な意味合いがないにももかかわらずである。
これは何故なのだろう。もちろん外国人として、本国人と区別(差別)されることに疎外感を感じると言う気持ちはわかる*1。しかし、そのような区別はどこにでもあるのではないだろうか。*2
外人と呼ばれるが嫌で仕方ない人たちというのはどういう人達なのか。時として声高に批判し、言葉狩りの原因を作るのはどういう人たちなのだろう
実は日本人にも、同じような感覚がある。もちろん外国にいって外人あつかいされるのは普通のことなのでなんとも思わないだろう。しかし日本人には、イエローやアジアンなどと他の東洋人とひとくくりにされるのを嫌がる傾向がある。自分はマナーや金払いのよい日本人なので中国人や韓国人と一緒にしてくれるなという感情である。プライドの高い人ほどこの傾向が強く、優越感の裏返しと言っても良いだろう。日本でエリートコースを歩んできた人ほど、人種差別に憤慨する傾向があるともいう。
実は声高に外人と呼ばれてひどく嫌がるのは大方、白人男性なのだ。彼らは本国で差別された経験が無い。だから、日本に来て優遇されるどころか外人として区別(差別)されることにショックを受ける。しかも日本では白人だろうが先進国民であろうが、有色人種や途上国民と同じ外人というカテゴリーに放り込まれてしまう。当然、普段、人種的な偏見が強い人ほど嫌がる傾向が強い*3。
有色人種、特に黒人は白人がくやしがるのを見て、愉快そうにしている事が結構ある。「自分達の気持ちが少しはわかっただろう」というわけである。
追記:省略した常識的なことがらを念のため。第一印象で見た目や発音から外人と峻別されるのは、しかたのないことであって、ここで不快感を覚えるのはお門違いだ。そこからどれだけ相手のアイデンティティに関心を持てるかで、敬意を表せるんじゃないだろうか。相手がとりあえず日本人だと認識して欲しいと感じるように、相手がどんな国の人で、どのような言葉を話し、どのような信条や宗教を持っている人なのかを。そして忘れてはならない一番大切な事は、相手がある名前を持った一人の人間のあることだろう。