歴史修正主義というネット用語の不思議 

最近、近代史をめぐる議論で歴史修正主義という言葉をよく聞く。この言葉を使うのはほぼ100%左翼だ。私は子供の頃、左翼思想にどっぷり使っていたので、左翼の論理は大体わかるが、当時はそんな言葉は無かった。むしろ歴史において、従来の通説や価値観を覆す新しい見方をしめすのが左翼の本領だった気がする。

歴史修正主義という言葉は、専ら議論相手に張るレッテルとして使われている。それも相手を歴史修正主義者と断ずれば議論に勝ったかのように思っているようだ。これが私からすると「なんで?」としか思えない。歴史って時代と共に解釈が変わっていくものじゃないのか?*1ましてや政治的立場やイデオロギーによって大いに歪められてきた近代史に間違いない統一見解なんてものは存在しえない。見ても右から見ても左から見ても、疑うことを知らない思考停止した人間は軽蔑の対象だった*2はずなのにどうしてこうなってしまったのだろう*3

調べてみると歴史修正主義というのはホロコースト否認論者が自称していたことで悪いイメージが付いたらしい。つまり相手を歴史修正主義者と呼ぶのは「お前はナチス(ネオナチ)の仲間だ」と言う意味なのだ。ネット上での議論は、長引くほど相手をナチス呼ばわりして貶めようとするという「ゴドウィンの法則」というのがあるが、それと同じようなものだろう。ちなみに何でネット上に限ってそう呼ばれるかといえば、リアル議論はまだ自制が聞くからだろう。みだりに相手をナチス呼ばわりするのは、一種の禁じ手で、恥ずかしいことだ。

そういうわけで歴史修正主義というレッテルを張って満足するのは恥ずかしいことだという意識を持つべきではないだろうか。彼らのグループの中からそういう意見が出てきて自浄されないのでは、頭の程度が知れているとすら思う。あるいは支持を失い先鋭化した戦後左翼の残滓なのだろうか。

追記 (ブックマークなどを読んで)歴修正主義という言葉がそれなりに通用してるのはわかりました(ネットは仲間内のやりとりを可視化しただけでした)。ネット用語と呼んだことは謝りましょう

私が違和感を感じるのはまるで歴史の再検証自体が悪いみたいな響きはどうなの?と思うからです(用語がもともと否認主義者の自称だったからなんでしょうけど)。なんだか疑似科学を唱える人をを科学者と呼んで批判するような本末転倒感を感じます。

歴史修正主義という言葉が、右派に属する程度の低い人たち、例えば知識が残念で当然あっただろうレベルの虐殺も否定してしまうような人たちのことのみをさすのなら、もうちょっと用語を工夫してほしいところです。
左翼でいうなら、武器を捨てた瞬間平和になるみたいに考えてる素朴な人たちを平和主義者だと批判したら、真面目に安全保障を考えてる人が迷惑でしょう。これでは藁人形論法になってしまうので、私は空想的な非武装平和主義者みたいに呼んで区別するようにしています(長ければ無防備主義とかでもいいでしょう)。
つまり未熟ゆえに左右両方から相手にされていない人たちを持ち出して、叩きやすいところを叩たたくこと(藁人形)によって、嫌いな陣営のイメージ操作をするのはお互いフェアじゃないなぁと思うのです

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20090324/genri
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20120922/p1
http://anond.hatelabo.jp/20080103051229

*1:歴史学は史料にもとづいて歴史を編纂していく作業だが、史料というのは絶対的なものではなく史料同士を突き合わせる史料批判が重要な作業となる。そして過ぎ去ってしまった過去の知るのは案外難しく、新しい史料が発見されて従来の見方が覆るなんてのはよくあることだ。ましてや個人の主張や見解である証言はよく検証される必要がある

*2:悪く言えば極端な思想につっぱして、市井の人を見下してるともいえる

*3:人間、興味が無いことは考えない、勉強しない事はしかたのないことだ。だが、そのほうが偉いというのは本末転倒で、反知性主義の一種といえるだろう。