中華ナショナリズムショーが打ちのめした、国際人幻想

現実の前に、甘美な幻想は消し飛んでしまいます。

私たちは、抗日デモと暴動という形で中華ナショナリズムを見せつけられました。事件を伝える画像や映像の力は、日本の人々の中国に対する印象を変えていきます。とりわけ、中国に美しき幻想を抱いている人にとっては、衝撃的だったはずです。

2005年の反日デモの時は、小泉首相や日本の右派のの責任だと怒りの矛先を変える事ができましたが、今回はそれも難しいでしょう。なにしろ国が尖閣諸島を買い上げることで「穏便にすませた」はずなのですから。

またネトウヨの左翼叩きかと思われそうですので、まずは(経済)右派の国際人というものからついてみて行きましょう。ここでいう経済右派とはグローバリズムが世界から国境をなくすと思っている人たちのことです。経済的な結びつきが世界から戦争をなくすという言説は、けっこう世の中に浸透しています。地位や学歴の高い経済人に多いのでエリート意識をくすぐられますし、経済関係ですから実益にもかないます。
彼らにとって反日暴動は「戦争を抑止するはずの、経済関係を中国が自ら破壊している」という困惑するできごとです。これは頭のよい人たちの現実世界への理解不足からくるものです。古典的な経済学やゲーム理論において人間は、常に合理的に思考する人間としてモデル化してしまうことで、高度な理論を組み立てる事を可能にします。
しかし現実の世界はとても泥臭くできていて、人間は限られた情報を元に、感情に基づいて行動します。国家のエリートにとってさえ国家権力の維持やその内部の権力闘争、そして個人的利益が、国家的な経済などより重要なのです。いくら経済発展しても自分が失脚しては元もこもありませんからね。そして国家そのものについても自身の存亡が経済関係なんかより重要でです。その実例は歴史にあふれています。他ならぬ日本が深く経済を依存していた米国に戦争をふっかけたのが良い例でしょう。第二次大戦の萌芽となった、第一次大戦も経済の相互依存が戦争を防げないという実例としてよく取り上げられます。まあ今回はこの辺にしておきましょう

次に左派の人たちについて。地球市民とまではいかなくても、国際人を自認する人々の頭の中の地球には、偏狭なナショナリズムを捨てた理想の人々が住んでいて、手を降ってくれていたはずです。子供のころの私はそうでした。もちろん現実の世界はそうではないのですが、人間は自分の中のイメージで物を考えているので、自分の見たい物だけ見ることによって矛盾を回避できます。
ともすれば日本や米国が相手を相手を脅かしているので、やむにやまれずそういう態度をとっているすら考えていたりします。左翼的な価値観では、現地の方々というのは侵略者に虐げられる弱者という図式がデフォルトで存在しており、とりあえずその図式に当てはめてしまうのです。
ついでにいえば彼らが「反日」に見えるのは反国家権力、反伝統的な観点から、歴史カードを持つ中韓と共同戦線を張るからです。国内のナショナリストと戦うために彼ら自身のナショナリズムはある意味大目に見ています。また最近まで途上国でしたから格下にみているところもあるでしょう。左翼的な価値観では弱者に寛容であることがなによりも美徳です。左翼な人たちが中韓のパフォーマンスが放つナショナリズムの臭いにどの段階まで耐えられるのか、わくわくしながら見守っています。