自らを律する生き方がよい人、好きなように生きた方がいい人

一般に、自らを律する生き方は規範とされる。しかし、自らを律する能力には差があることは、あまり知られていない。もちろん、生き方に大きな個人差があるのは自明なのだが、その原因がよくわかっていなかったので、やる気とか決意の差にすぎないと言うような精神論や、育ちや知能といったスペックに原因が求められてきた。せいぜい「性格」というあいまいな概念でしかなった。故に、本人の努力で直すことが可能だと思われてきたのではないだろうか

ここ数十年になってようはく、ADHDという自己制御が不得意な人たちの存在があきらかにされた。原因は自己制御を司る前頭葉の働き方(覚醒度)が人によって異なるからだった。ADHDは生活に支障がでるほど極端な人たちを抜き出した概念だが、はっきり健常者と障害者が分かれているわけではなく、緩やかに得意な人と不得意な人が分布している。

私は、境遇から自分の性格に自信がもてず、「もっと賢く生きなければ、生きる資格が無い」と自分を追い詰めていたが、ほとんど意味が無かった。典型的なADHDには、無理な生き方だった。それは体に障害のある人が運動選手を目指すようなものだ。

もう無理っす。自分のしたいことをする方向で生きます。お金や社会地位はのたれ死にしない程度あれば充分です。苦手なことは道具や外部委託でなんとかします。その方がトータルの成果物が大きいんです。ではごきげんよー

追記:極論めいた事を言ってみましたが、要するに見通しをたてられるレンジには個人差があるので、同じような感覚で語ることは難しいということです。個人差を埋めるようなプログラムをつくりたいです

中国の空母の名前はなぜ遼寧(りょうねい)なのか

このほど旧ソ連空母ワリャーグが、中国の練習空母「遼寧」として就役し、いよいよ本格的な空母部隊を作るための活動を開始します。
さて中国海軍にとって象徴的な意味を持つこの空母はなぜ遼寧という名前になったのでしょう。

中国にとっても、この空母は国家の象徴的な存在であるはずです*1。戦前の日本海軍ならきっと「扶桑」とか「大和」となずけたのではないでしょうか
*2

遼寧とは遼寧省のことです。中国語では「リャオニン」ですが、我々は日本読みの「りょうねい」で構わないでしょう。省は日本の都道府県に相当し、遼寧省中国東北部にあります。瀋陽市や大連市を抱え、経済発展著しい沿岸部に属します。

ここで疑問が生じます。確かに遼寧は近年発展した地域ですが、歴史的にみれば辺境で、中国の中心ではありません。たとえば北京とか上海に比べたら存在感は小さいものです。なぜなぜ遼寧省なのでしょうか?
実はこの遼寧省は我々日本と深い関係があるのです。遼寧省を含む東北三省はかつて満州とよばれていました。そう、かつて日本が満州事変によって、中国本土*3から切り離し、満州国を打ち立てたあの満州です。瀋陽市や大連市といった近代的な大都市が形成されたのも、日本の資本投下と治安の安定がもたらされたこの時期です。

こう考えると、中国海軍が初の空母を遼寧となずけた理由が理解できてくるのではないでしょうか?私には韓国海軍が象徴的な軍艦に「独島」と名づけた事*4と重なって見えます。満州はもともと外国であり、ロシアや日本に奪われた事がある土地だからこそ、象徴的な艦の名前にすることでになずけることで自国の一部であることを誇示したいのではないでしょうか?
そして周知のとおり、中国共産党および人民解放軍は、その正当性を抗日戦争に求めています。それを連想させる名前であればあるほど、中国人はナショナリズムをかきたてられるのではないでしょうか。

ここは中国人の人に「遼寧」と言う名前にどのような印象をもつのか、ぜひ聞いて見たいものです。

追記:私の考えすぎで、練習空母にすぎないので遼寧なのかもしれません。あとに控えている建造中の正規空母のこそ本命と考えられている可能性もあります。中国海軍は遼寧のニュースバリューをどれだけ理解しているのでしょうか?

追記:単純に軍港の大連があるからかもしれません。あの旅順の対岸に位置する良港です

http://blog.livedoor.jp/nonreal-pompandcircumstance/archives/50679181.html
http://obiekt.seesaa.net/article/294178557.html
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012092500441
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2012-09/25/content_26625830.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120925/chn12092519250019-n1.htm
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120925-OYT1T01054.htm

*1:現代の砲艦外交は空母機動部隊で行われますから、外交的にも重要です。中国は今までアメリカの機動部隊に煮え湯を飲まされる立場でした

*2:当時は戦艦が主力艦とみなされており国家の象徴でした。空母はまだ実力を証明できていない新兵器です

*3:ちなみに満州はで、かつての中華世界に含まれていなかった、という意味で中国本土(プロパーチャイナ)ではありません

*4:独島級を韓国海軍の中核を成す艦艇といえるでしょう。強襲揚陸艦と言ってしまう補助的な艦艇とのように聞こえてしまうかもしれません。しかし事実上のヘリ空母であり、将来は垂直離発着機の運用を臭わせています。そして艦隊の旗艦として運用するために、過剰におもえるほどの電子装備をもっています

中華ナショナリズムショーが打ちのめした、国際人幻想

現実の前に、甘美な幻想は消し飛んでしまいます。

私たちは、抗日デモと暴動という形で中華ナショナリズムを見せつけられました。事件を伝える画像や映像の力は、日本の人々の中国に対する印象を変えていきます。とりわけ、中国に美しき幻想を抱いている人にとっては、衝撃的だったはずです。

2005年の反日デモの時は、小泉首相や日本の右派のの責任だと怒りの矛先を変える事ができましたが、今回はそれも難しいでしょう。なにしろ国が尖閣諸島を買い上げることで「穏便にすませた」はずなのですから。

またネトウヨの左翼叩きかと思われそうですので、まずは(経済)右派の国際人というものからついてみて行きましょう。ここでいう経済右派とはグローバリズムが世界から国境をなくすと思っている人たちのことです。経済的な結びつきが世界から戦争をなくすという言説は、けっこう世の中に浸透しています。地位や学歴の高い経済人に多いのでエリート意識をくすぐられますし、経済関係ですから実益にもかないます。
彼らにとって反日暴動は「戦争を抑止するはずの、経済関係を中国が自ら破壊している」という困惑するできごとです。これは頭のよい人たちの現実世界への理解不足からくるものです。古典的な経済学やゲーム理論において人間は、常に合理的に思考する人間としてモデル化してしまうことで、高度な理論を組み立てる事を可能にします。
しかし現実の世界はとても泥臭くできていて、人間は限られた情報を元に、感情に基づいて行動します。国家のエリートにとってさえ国家権力の維持やその内部の権力闘争、そして個人的利益が、国家的な経済などより重要なのです。いくら経済発展しても自分が失脚しては元もこもありませんからね。そして国家そのものについても自身の存亡が経済関係なんかより重要でです。その実例は歴史にあふれています。他ならぬ日本が深く経済を依存していた米国に戦争をふっかけたのが良い例でしょう。第二次大戦の萌芽となった、第一次大戦も経済の相互依存が戦争を防げないという実例としてよく取り上げられます。まあ今回はこの辺にしておきましょう

次に左派の人たちについて。地球市民とまではいかなくても、国際人を自認する人々の頭の中の地球には、偏狭なナショナリズムを捨てた理想の人々が住んでいて、手を降ってくれていたはずです。子供のころの私はそうでした。もちろん現実の世界はそうではないのですが、人間は自分の中のイメージで物を考えているので、自分の見たい物だけ見ることによって矛盾を回避できます。
ともすれば日本や米国が相手を相手を脅かしているので、やむにやまれずそういう態度をとっているすら考えていたりします。左翼的な価値観では、現地の方々というのは侵略者に虐げられる弱者という図式がデフォルトで存在しており、とりあえずその図式に当てはめてしまうのです。
ついでにいえば彼らが「反日」に見えるのは反国家権力、反伝統的な観点から、歴史カードを持つ中韓と共同戦線を張るからです。国内のナショナリストと戦うために彼ら自身のナショナリズムはある意味大目に見ています。また最近まで途上国でしたから格下にみているところもあるでしょう。左翼的な価値観では弱者に寛容であることがなによりも美徳です。左翼な人たちが中韓のパフォーマンスが放つナショナリズムの臭いにどの段階まで耐えられるのか、わくわくしながら見守っています。

言葉使いを改めようかという話

どうも私の書く文章は論説調になってしまう。私は新聞と本で日本語を覚えたようなものだからだろう。私自身は大した人間でないので、人によっては偉そうな口利きにに見えるのかもしれないなぁと思う。誰に言われたわけではないのだけど。

そう思うのは人気のある(ブクマを稼ぐ)ブログは社会派な内容でも、親しみやすい文体で書かれているなと感じるから。
もともと頭の良い人教養のある人が平易な言葉で書く文章は、コンテンツとしての価値が高い。さらに、ネット社会は上下関係が無いので、よりフラットで親しみやすい言葉遣いが好まれるように思える。

急に言葉遣いを変えるのも難しいのだけど、少しづつ変えていきたいし変わっていきたいものだ。

歴史修正主義というネット用語の不思議 

最近、近代史をめぐる議論で歴史修正主義という言葉をよく聞く。この言葉を使うのはほぼ100%左翼だ。私は子供の頃、左翼思想にどっぷり使っていたので、左翼の論理は大体わかるが、当時はそんな言葉は無かった。むしろ歴史において、従来の通説や価値観を覆す新しい見方をしめすのが左翼の本領だった気がする。

歴史修正主義という言葉は、専ら議論相手に張るレッテルとして使われている。それも相手を歴史修正主義者と断ずれば議論に勝ったかのように思っているようだ。これが私からすると「なんで?」としか思えない。歴史って時代と共に解釈が変わっていくものじゃないのか?*1ましてや政治的立場やイデオロギーによって大いに歪められてきた近代史に間違いない統一見解なんてものは存在しえない。見ても右から見ても左から見ても、疑うことを知らない思考停止した人間は軽蔑の対象だった*2はずなのにどうしてこうなってしまったのだろう*3

調べてみると歴史修正主義というのはホロコースト否認論者が自称していたことで悪いイメージが付いたらしい。つまり相手を歴史修正主義者と呼ぶのは「お前はナチス(ネオナチ)の仲間だ」と言う意味なのだ。ネット上での議論は、長引くほど相手をナチス呼ばわりして貶めようとするという「ゴドウィンの法則」というのがあるが、それと同じようなものだろう。ちなみに何でネット上に限ってそう呼ばれるかといえば、リアル議論はまだ自制が聞くからだろう。みだりに相手をナチス呼ばわりするのは、一種の禁じ手で、恥ずかしいことだ。

そういうわけで歴史修正主義というレッテルを張って満足するのは恥ずかしいことだという意識を持つべきではないだろうか。彼らのグループの中からそういう意見が出てきて自浄されないのでは、頭の程度が知れているとすら思う。あるいは支持を失い先鋭化した戦後左翼の残滓なのだろうか。

追記 (ブックマークなどを読んで)歴修正主義という言葉がそれなりに通用してるのはわかりました(ネットは仲間内のやりとりを可視化しただけでした)。ネット用語と呼んだことは謝りましょう

私が違和感を感じるのはまるで歴史の再検証自体が悪いみたいな響きはどうなの?と思うからです(用語がもともと否認主義者の自称だったからなんでしょうけど)。なんだか疑似科学を唱える人をを科学者と呼んで批判するような本末転倒感を感じます。

歴史修正主義という言葉が、右派に属する程度の低い人たち、例えば知識が残念で当然あっただろうレベルの虐殺も否定してしまうような人たちのことのみをさすのなら、もうちょっと用語を工夫してほしいところです。
左翼でいうなら、武器を捨てた瞬間平和になるみたいに考えてる素朴な人たちを平和主義者だと批判したら、真面目に安全保障を考えてる人が迷惑でしょう。これでは藁人形論法になってしまうので、私は空想的な非武装平和主義者みたいに呼んで区別するようにしています(長ければ無防備主義とかでもいいでしょう)。
つまり未熟ゆえに左右両方から相手にされていない人たちを持ち出して、叩きやすいところを叩たたくこと(藁人形)によって、嫌いな陣営のイメージ操作をするのはお互いフェアじゃないなぁと思うのです

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20090324/genri
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20120922/p1
http://anond.hatelabo.jp/20080103051229

*1:歴史学は史料にもとづいて歴史を編纂していく作業だが、史料というのは絶対的なものではなく史料同士を突き合わせる史料批判が重要な作業となる。そして過ぎ去ってしまった過去の知るのは案外難しく、新しい史料が発見されて従来の見方が覆るなんてのはよくあることだ。ましてや個人の主張や見解である証言はよく検証される必要がある

*2:悪く言えば極端な思想につっぱして、市井の人を見下してるともいえる

*3:人間、興味が無いことは考えない、勉強しない事はしかたのないことだ。だが、そのほうが偉いというのは本末転倒で、反知性主義の一種といえるだろう。

富山の薬売りは放射能不安を商機とするべきではないか

富山の薬売りで有名な家庭用配置薬は衰退傾向にある。これだけ流通が発達し、医療機関が充実した現代では致し方ない面もある。かつて薬は高価だったので、常備できる家庭は少なかった。ところが現代の日本人は配置薬に頼らなくても手軽に薬を買えるようになったのだ。

配置薬は急病などもしものための時に備えるという、不安へのケアであったのではないだろうか。とするならば、原発事故や核戦争、汚い爆弾によるテロ*1などにつきものの「放射能への不安」への処方薬にもなってくれるのではないだろうか。放射能性物質への備えとして安定ヨウ素剤配置薬セットに加えるのだ。

具体的には配置薬に、安定ヨウ素剤の錠剤を数回分入れるだけなのだから難しいようには思えない。現在、安定ヨウ素剤は政府機関を主な顧客としていて、数十錠で数千円という個人に買いにくい販売形態になっている。これを小分けして各家庭に配置する。置くだけで不安を和らげ、使わなければお金を払わなくてよいという配置薬のシステムは災害対策と相性が良いと思う。もちろん子供や孫のためと思えば出費を許容する人も多いだろう。更なる災害対策として栄養剤*2や消毒液(飲み水の消毒など)などを加えてもいい。

今まで日本はリスクを認めるという作業を嫌っていた。リスクを認めればそれが僅かな確率にすぎなくても、過大に見積もってしまう人間心理*3を知っているゆえのことだろう。誠実にリスクに向き合うより、嘘をついてもリスクフリーであるかのように思わせるほうが得だったというのが現実なのではないだろうか。日本で核シェルターが建設されないのは、費用面もさることながら*4、核戦争のリスクを認めることを拒否してきたように思える。

家庭用配置薬は民間の自助努力という形で、災害対策を行える妙薬になってくれるのではないだろうか。無論、財政出動の一環として、政府補助を与えるのも良いと思う。

*1:核爆弾を入手できなくともせめて放射能物質をばらまいて社会にパニックを起こそうというテロ。ダーディーボムの逐語訳である

*2:人間は水とカロリーそしてビタミン類だけで相当生きられる

*3:これは心理学の実験などで確かめられている。

*4:核シェルターの建設が義務付けられてる国でも、普通の人々は緊急時のためだけにシェルターを建設するのは負担が重い。そこで普段は車庫や物置として使う地下室を作りをシェルターとしている

原発再稼働支持の論理

あいかわらず原発反対は多く、再稼働を支持を表明しにくい「空気」というやつを感じるので、ここはあえて、支持派の論理を述べたいと思う。

あの事故以来原発というものに不安を感じる人が多いのは知っている、決してリスクフリーでないことも知っている*1

ではなぜ再稼働すべきだと思うのか。
それは停止したままでは国益を害するからだ。原子力という電力の柱を失うことのリスクを考えると、原発のリスクを受け入れるしかないと思っている。エネルギーを輸入に頼っている以上、常に分散するしかない。かつて石油禁輸措置によって戦争に追い込まれたり、オイルショックで経済が混乱した歴史を思い出してほしい。
そして、電力不足や電力会社の経営悪化に伴う電気代値上げ、事故補償のための国庫負担などが、確実に日本経済を締め上げている
景気停滞も多くのリスクを生み出すだろう。

むろん今までの原発体制は間違っていた。東京電力と監督省庁、その仕組みを作った政府は責任を問われるべきだ。再発防止は掛け声ではだけ困る。もはや旧来の体制に国民の信頼を取り戻せないのは致し方ないことだ。フランスのように原発部門を国営化するなり、事故対処部隊をつくるなりしたほうが良いと思う。

残念ながら、再稼働支持が多数派になる見込みは薄い。国民にあまねく伝播した放射能への不安を払しょくすることは困難だからだ。僅かでもリスクがあるかぎり拒否反応を示すのが人間心理だ。

しかしながら、運転を停止していれば安全かというとそういうものでもない。やはり冷却し続けれなければいけないことには変わらない。大してリスクを軽減できないならば再稼働したした方がよいと私は思っている。*2

思えば原発事故がもたらした被害は、不安や恐怖そのものによって引き起こされたといえないだろうか。国内国外問わずである。おそらく今回の放射能漏洩亭程度の規模では放射能障害で死ぬ人はいないかごくわずかだろう。それよりも、放射能にたいする不安や恐怖そのものが、退避行動やパニックを引き起こしたように見える。もちろん放射能は新しく目に見えない脅威なのだから、そうなるのは無理もない。しかし、だからこそ科学的な知見と証拠にもとづく事実を重視しなければ冷静な判断はできない。

結論として、作ってしまった原発は再稼働していくべきだとおもっている。その上で、再稼働の利益受諾者に、対策について相応の負担を求めていけばいい。

追記1:子供の甲状腺がん発生率が上がっているかもしれないようだ。このリスクを認め、リスク管理として、安定ヨウ素剤などを手厚く配布して置くべきじゃないだろうか*3原発事故だけではなく、核戦争に対する備えとしても必要だ。費用はかかるが、安定ヨウ素剤程度なら経済対策になると前向きに考えるべきではないか。当然だが、健康被害への保障もしなければいけない。

追記2:ちなみに私が住んでる地域は富山県である。万一、志賀や美浜の原発が爆発したら放射能物質が飛んでくるかもしれない。私はそれでも様々なリスクを図りにかけて再稼動すべきだと思っている。

*1:昔から原発はリスクがあるのが当然だと思っていた。たいていのシュミレーションゲームでは原発メルトダウンのイベントがお約束として盛り込まれている

*2:言い過ぎたので撤回しました

*3:原発周辺だけじゃなく、全国に配置薬として配布するぐらいで