当ブログ「HiiragiJPの日記」の信ぴょう性があるのか?執筆姿勢の現状

正直って、この日記の信ぴょう性はそれほど高くない。私に権威などこれっぽっちもないし、権威ある出典を引用することもしていない。それどころか学術上の多数意見に準拠してるかも怪しい*1

この日記は私個人が何か言いたいと思った時に、その感情を発露させってすっきりするために書いている*2。書くことで考えをまとめているということでもある。たとえば学会の定説を啓蒙しているとかいうわけではないのだ。どちかというと挑戦的な少数意見のことの方が多い。
そういう意見を発表して反応を知りたいのだ。だから批判的な意見を待っている*3

私はいままで2chを利用してそういうことを書いてきた。忌憚のない意見を聞けるし、場所さえ選べばちゃんと議論を戦わせることができる。ではなぜ、はてなダイアリーに書くのか?

実は2chで私の端末(イーモバイル)が規制されていて、書き込めなくなったのだ。お金がなくて固定回線を引き払ったらこのざまである。

追記:p2という500円/年ほどで書き込みができるビューアーを導入しました

*1:そういう意味での「正しい」記事を書けるのは、発達障害とか軍事などいくつかの領域に限られる。それにしたって反証に耐えうる「正しさ」を持っているのは科学や史学上からみた事実関係にかぎられる。事実関係から導きだされる意見はあくまで私の意見にすぎない

*2:いわゆるチラシの裏である

*3:残念がら人からコメントを頂けるほどこのブロクの注目度は高くない。そりゃそうだよね

「引き寄せの法則」という新興宗教

最近、ネット界隈で引き寄せの法則という新興宗教が話題になっているようだ。教義自体は宗教や占いで使い古された「深く信じれば加護を得れる、悪いことが起きるのは信仰心が足りないから」というやつを変形というか単純化したようなものだ。「いいことを考えればいいことが起こり、悪いことを考えれば悪いことが起きる」なんて教えているらしい。こういうことを多くの人に吹き込んでおけば、初めは半信半疑でも、偶然が重なって、本当だと思い込む人がでてくる。

実は私は人間の不完全さからある程度の思い込みは「仮説」として必要だと思ってる。
それでもやはりこの手の迷信が広がるのは困るのでやめて欲しい。昔の言霊信仰じゃないが、多人数で共有すべき教義ではない。

私が数ある新興宗教のなかでも引き寄せの法則に物を言いたくなったのは、宗教臭さの薄さに危険を覚えたからだ。ネット上において新興宗教は批判や嫌悪感、あるいは嘲りとセットになっているものだが*1、コメントもつけずブックマークをつける人がかなりいるので、不安になってしまうのだ。
進歩を続ける人類はどれほど宗教や迷信に頼らずに生きていけるようになったのだろうか

*1:信者にとってはそういう世間の冷嘲が、逆にコミュニティへの依存を深める作用があるらしい。そこで新教宗教はあえて信者を街角で勧誘活動させて世間の冷たさを教える手を使うそうな

外人と呼ばれる事をひどく嫌がる人がいる理由

外国人にはガイジンと呼ばれるのを嫌がる人が一定数いる。日本語においては外人というのは外国人の略称にすぎず侮蔑的な意味合いがないにももかかわらずである。

これは何故なのだろう。もちろん外国人として、本国人と区別(差別)されることに疎外感を感じると言う気持ちはわかる*1。しかし、そのような区別はどこにでもあるのではないだろうか。*2

外人と呼ばれるが嫌で仕方ない人たちというのはどういう人達なのか。時として声高に批判し、言葉狩りの原因を作るのはどういう人たちなのだろう

実は日本人にも、同じような感覚がある。もちろん外国にいって外人あつかいされるのは普通のことなのでなんとも思わないだろう。しかし日本人には、イエローやアジアンなどと他の東洋人とひとくくりにされるのを嫌がる傾向がある。自分はマナーや金払いのよい日本人なので中国人や韓国人と一緒にしてくれるなという感情である。プライドの高い人ほどこの傾向が強く、優越感の裏返しと言っても良いだろう。日本でエリートコースを歩んできた人ほど、人種差別に憤慨する傾向があるともいう。

実は声高に外人と呼ばれてひどく嫌がるのは大方、白人男性なのだ。彼らは本国で差別された経験が無い。だから、日本に来て優遇されるどころか外人として区別(差別)されることにショックを受ける。しかも日本では白人だろうが先進国民であろうが、有色人種や途上国民と同じ外人というカテゴリーに放り込まれてしまう。当然、普段、人種的な偏見が強い人ほど嫌がる傾向が強い*3

 有色人種、特に黒人は白人がくやしがるのを見て、愉快そうにしている事が結構ある。「自分達の気持ちが少しはわかっただろう」というわけである。

追記:省略した常識的なことがらを念のため。第一印象で見た目や発音から外人と峻別されるのは、しかたのないことであって、ここで不快感を覚えるのはお門違いだ。そこからどれだけ相手のアイデンティティに関心を持てるかで、敬意を表せるんじゃないだろうか。相手がとりあえず日本人だと認識して欲しいと感じるように、相手がどんな国の人で、どのような言葉を話し、どのような信条や宗教を持っている人なのかを。そして忘れてはならない一番大切な事は、相手がある名前を持った一人の人間のあることだろう。

*1:懸命に日本に溶け込もうとしている人が、どこまで言っても日本人に受け入れられないと感じるなら、嫌味の一つも言いたくなるだろう

*2:アメリカのような移民国ですら移民一世や外国人は区別される。

*3:人間が差別が大好きな生き物。人種的に均一な日本人でさえ、血液型性格診断のような迷信に飛びついて人間のカテゴライズを始める。まったく業が深い

なぜ自閉症で刑期が伸びるのかを、冷徹に考えてみる。

◆姉殺害に求刑超え懲役20年判決 発達障害で「社会秩序のため」
http://kumanichi.com/news/kyodo/main/201207/20120730015.shtml

おいらは発達障害が殺人の原因する見方が正しいならば、裁判官の判断は間違っていないと思う。しかしなんでも発達障害のせいする見方には賛成できないし、判例として後々の裁判に影響するのは困る。誤解や偏見を緩和するという意味でも、本件が、社会的に注目されるのはいいことだと思っている。

そもそも刑務所は更生施設なのだ。悪いことをした人が刑期を終えたらシャバに出てこれるのは、更生の見込みがあるからだ。少なくとも建前上は。逆に、更生の見込みが無い犯罪者というのは死刑か終身刑*1にするしかない。

一般に、障害や病気によって犯罪が引き起こされたとする主張は弁護側が減刑のために展開する主張である。

仮にこれが正しいとしよう。発達障害は一生治らない。本当に障害が原因で殺人がおきたと断定するなら一生隔離しておくしかない。こうなるのは論理的な帰結だ。

統合失調症など精神病患者*2の場合は、妄想によって殺人などの重罪を犯す人がいる。病気によって場合責任能力が回避される代わりに、かなりの長期間閉鎖病棟に隔離される。一生出てこれない人も多い。

発達障害は精神病でないので精神病院送りはできない。そして発達障害一生治らない。精神病のように悪化することが無い代わりに、治ることもない。ならばできるだけ長い間刑務所に入れて隔離しておくしか無い。この理屈自体は間違っていないと思う。


しかし、本当に発達障害が原因で犯罪が起きたといえるのだろうか?
たしかに社会の仕組みが理解ができないところまでは、障害のせいであり、補う養育を受けれなかったせいであろう*3しかし、逆恨みするのは他罰的な性格やプライドの高さが原因であろう。さらに、暴力や殺人という一線を超えてしまうのは、当人の攻撃性の問題である*4
発達障害者だから暴力や犯罪を犯すという見方は、偏見というやつである。少なくとも発達障害の当事者にとっては迷惑な見方である。

個人的には量刑判断における発達障害は「不遇な家庭環境」や「虐待」と同程度の扱いにしてほしい。不幸な家庭環境に育った人の多くの犯罪者になるわけではないように、発達障害者の多くは犯罪者でも反社会的な人格の持ち主でもない。むしろ、自閉を持ってる人は他人の操作能力が低く、ずる賢く立ちまわることができないので、ルールを墨守する傾向が強い*5。問題は一部の障害者が理解力不足からくる誤解や、社会からの孤立の結果、社会を敵視するに至ることである。



関連記事
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20120801/1343828329
http://bem21st.blog.fc2.com/blog-entry-5.html
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG30043_Q2A730C1CC1000/
http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012073001002297.html

*1:日本の場合は無期懲役が最高刑なので、あとは現場の判断で終身刑的に運用されている。

*2:発達障害と混同されがちだが、別物であることで留意されたい

*3:被告が育った時代では社会の理解もなく、適切な養育を受けることができなかった。

*4:精神医学でも暴力や反社会的な行動は発達障害とは切り離して、行為障害や人格障害としてとらえるのが多数意見である

*5:知的に障害がある場合は、社会ルールの理解が難しい場合もある

また自閉症を逆の意味で解釈してしまった人が出たようです。-池田信夫へのレビュー

「自閉化」するウェブ
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/bdb98e74565fb22155e55aa31e07fb3e

この新しいメディアでもっとも重要なのは、膨大なゴミの山から読むに値する情報だけを選別する「自閉的」テクノロジーである。人間の神経系は、そういう機能を進化させてきた。

池田氏はどうも自閉圏の人間を生来的に情報の取捨選択がうまい人のことだと勘違いしていているようですが、実際は逆です。本来、生来的なバイアスというのは感覚(のフィルタリング)や感情(情報を快、不快でフィルタリング)のように生まれながらに持つ本能を差すはずです。人の気持ちがわかるのが自閉者とか空気の読めるのが自閉者と言い換えればいかにおかしな事を言ってるかわかると思います。

自閉者は人間誰しもが持っている生来的な情報フィルターの働きが弱いのです。健常者が無意識のうちにオートマティクにやってる処理をいちいちマニュアルで処理しないといけないのです。典型的な例が感覚過敏であり、聴覚などの感覚を上手くフィルタリングできず、雑音がする環境では不快な思いをしてします。すぐに情報があふれてどうしょうもなくなってしまうから、静寂や孤独を好み、人工的な情報の取捨選択に頼るのです。
もっともネット上の「雑音」が大嫌いな池田さんのスルー力の低さは明らかですから確かに自閉的な方なのかもしれせん。
雑音に弱いのですから集中力が強いとは言えません。強いのは「こだわり」であり偏執なのです。
研究者や職人などこだわりをいかせる職業に向いています。十年を越えるような偏執は天才や匠と呼ばれる種類の人間を生み出します
哲学者とか数学者みたいに延々考え続ける分野にはどう見ても自閉者だろうという人は多いです。世界の物理法則について十数年も延々思考実験を続けたアインシュタインとか、変人で有名だったニュートンに自閉の疑いがかかるのももっとな話です。なおIT業界に自閉者が多いのも有名な話ですが、これもプログラムに書いたことしかやってくれないコンピューター君の気持ちがわかるからだとだと思いますw
でもだからといって自閉者=天才と短絡するのはやめてほしいですね


高機能自閉者の偉人だけを見てなんだか頭よさそうって思うんでしょうがそれは大変な罠です
自閉症者はIQが高いほど社会適応が困難といわれています
いくらIQが高くても規格外の人間に社会は厳しく、問題視されないぐらいのスペシャリストや経営者になるかただの変人になるかの二択なのです。特に自閉者はヒューマンスキルという奴が苦手なので社会に溶け込んで生きると言うのが大変厳しい。
さらに一般に発達障害者は、能力のバラツキが尋常で無いほど大きいので一部の能力が突出してるからと言って、下手に優秀だと思い込む(あるいは駄目人間だと思い込む)となかなか身の丈にあった判断を下しにくいという問題もあります。
発達障害者の親(私の親を含む)が良くかかる罠に池田氏もかかってしまったようです

学校の勉強と相性がいいので高学歴を得るのが比較的楽なのも誤解を生む原因でしょう。
学問は人工的に情報をフィルタリングするメソッドであり、書籍はフィルタリング済み情報の宝庫です。
高IQを獲得した人は大抵、小さい頃からこういうフィルタリング手法を身に付けてこの複雑な社会と折り合いをつける事ができた人なんだと思います。
うまく出来きなかったはこだわりの世界に囚われてたまま人生が過ぎてしまうのです。サヴァン症候群とか典型ですね

生まれてからずっとマニュアル・フィルタリングし続けてるんだから、そりゃそれ方面の力は鍛えられますよ。
感情による共感に頼れないから嫌でも論理性を重視しないといけないんですよ。自閉文化と言えるかもしれません
しかし、だからといって世間がおかしいとか、ネットはバカばっかとか自己正当化に走る人にはなりたく無い物です

もしかしたら単に自閉という字面だけ見て孤高とか引きこもりとか勝手に連想してるのかもしれない。だとしたら自閉隊発言で顰蹙を買った石破さん並だなぁ

http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/bdb98e74565fb22155e55aa31e07fb3e/19

追記1
記事を二重投稿していたミスを修正しました。ブックマークを巻き込んで消してしまったかもしれません。お手数ですが、再ブックマークしていただけるとありがたいです

追記2
コメントをいただいて、確かに攻撃的過ぎたと思い改題しました。
池田さんの記事のコメント欄を読むと、どちらかというと引用元の本の問題のようですから。
揚げ足取り、言葉狩りの類は簡単なだけに乱用は禁物ですね